あかいらか

NEW モース博士その2

 モース博士について、埼玉新聞の報道を引用させていただきます。
 『明治時代当時、外国人の講演会は届け出が必要で、熊谷の有力者4人が発起人となり手続きを行ったそうです。その一人が、林有章さんで、林さんがその時の様子を「幽嶂閑話」で次のように語っています。
 「会場は石上寺境内にあった熊谷乙中教院という建物。物珍しさのためか、大勢の人が詰めかけた。学生のような青年が通訳を務め、モースは人間の進化について、2時間余りも熱弁を振るった。しかし、当時の常識を覆す学説に、聴衆の多くは「けげんな顔をして聴いた。」
 講演が終わってモースが宿に引き上げていくと、発起人の一人がかんかんに怒って「(モースは)人間の始めはサルだという不届きな人物だ。あんなことを言うやつは日本から追っ払ってしまえ。」そう言ってモースのところに押しかけようとしたので、林有章がなだめた。」』
 まだ明治の初めですから、ダーウィンの進化論なるものは、なかなか受け入れがたかったのだと思います。石上寺にこのような過去があったことは、熊谷の誇りでもありますね。